NeBonga

肩書きのない場所で、アイデアを生む。

前回の投稿で「SNSが人間を“属性と物語”に変換していく」という考察を投稿しました。

ネットの海に流した情報にフォロワーがつく。ケースバイケースですが、フォロワーは創作物や属性に”LIKE”をし、”FOLLOW”していきます。

だから、その期待に応え続けよう、ということに翻弄される人生になってしまわないか、といった趣旨の文章でした。

普段、お会いする方から「どんなお仕事をしていますか?」と、聞かれます。

会社を経営しています。
映像をつくっています。
写真を撮っています。
海外でも仕事をしています。

いくつかの肩書きを並べれば、自分がどんな人間なのかを説明することができます。そして今は、SNSを開けば、それがさらに簡単になりました。

プロフィールには肩書きがあり、実績があり、フォロワー数があり、過去につくったものが並んでいる。僕たちは「何をつくったか」を見る前に、「誰がつくったか」を知ることができる。

便利なことですが、ときどき思うことがあります。

私たちは、自分の属性を意識しすぎているのではないか。
そして、心からの創作をするには、むしろ属性を忘れるべきではないか。

1. 人は「属性」から自分をつくってしまう

SNS時代では、人は作品を見る前に「誰がつくったか」を見る。

  • 年齢
  • 性別
  • 職業
  • 肩書き
  • 学歴
  • 国籍
  • フォロワー数
  • 過去の実績
  • 所属する会社

こうした情報は便利ですが、同時に自分自身の創作範囲を狭めてしまわないものかと、最近感じています。

写真家なら、写真らしいものを撮る。
映像制作者なら、映像として成立するものを考える。
経営者なら、ビジネスになるかどうかを考える。
会社員なら、会社で評価されるかどうかを考える。
SNSで発信している人なら、フォロワーにどう見られるかを考える。

もちろん、それ自体が悪いわけではありません。
専門性は大切だし、経験は武器になる。
でも、専門性が強くなればなるほど、私たちは知らないうちに「自分はこういう人間だ」という枠の中で考えるようになってしまいます。

私が感じている恐怖心(?)の1つです。

「これは自分っぽくない」
「自分の仕事ではない」
「このジャンルは自分には関係ない」

そんなふうに。

そして不思議なことに、創作を始める前から、すでに創作の範囲を決めてしまっている。

SNSでは特にそれが強い。

一度投稿したものが評価されると、次も似たものを求められる。

「この人はこういう人」というイメージが積み重なっていく。
すると、自分自身もそのイメージを裏切ることが怖くなる。

いつの間にか、「つくりたいもの」より「自分らしいもの」をつくるようになる。

これが、かなり怖いことだと思うんです。

2. 創作するときだけ、それを忘れてみる

私は、(できるだけ)創作するときに一度だけ、自分の属性を忘れるようにしている。

写真家でもない。
映像制作者でもない。
経営者でもない。
日本人でもない。
何歳でもない。
過去に何をしてきた人間でもない。
フォロワーが何人いる人間でもない。

ただ、「これは面白いだろうか」だけを考える。

あるいは、「これは美しいだろうか」
そういう、もっと原始的な感覚に戻っていく。

企画の初期段階では、特にこの感覚が重要です。
最初から「正解」を探してしまうと、だいたい似たようなものになってしまうし、もう創作していても面白くない。

競合を調べる。
市場を調べる。
過去の事例を見る。
ターゲットを設定する。
ペルソナをつくる。
もちろん必要な作業です。

でも、それだけでは新しいものは生まれにくい。
なぜなら、そこにある情報はすべて「すでに存在しているもの」です。

創作の出発点には、ときどき、「そんなことを考えていいの?」くらいの余白が必要になる。

そのためには、自分自身についているラベルを一度外してみることが必要、ということです。

「自分はこういう人間だから」という言葉をやめる。

そして、「もし自分が何者でもなかったら、何をつくるだろう?」と考えてみる。

すると、少しだけ自由になる気がしています。

3. 属性は、捨てるのではなく「戻る」

もちろん、属性そのものが悪いわけではないんです。
むしろ社会の中で生きていくには、属性は必要です。

会社には役割がある。
仕事には専門性がある。
プロフィールには経歴がある。
名刺には肩書きがある。

誰かと仕事をするためには、「あなたは何ができる人なのか」を伝えなければならない。

だから、属性を捨てる必要はないんです。

私が言いたいのは、「創作するときだけ、それを一度置いておこう。」ということです。

何者かになるのは、創作したあとでもいい。

むしろ、何者でもないところから生まれたものに、あとから名前をつければいい。

写真家だから写真を撮るのではなく、撮りたいものがあったから写真家になる。

映像制作者だから映像をつくるのではなく、伝えたいものがあったから映像をつくる。

会社を経営しているから事業を考えるのではなく、「こんな世界になったら面白い」と思ったから、会社をつくる。

順番を逆にしてみる。

属性 → 創作ではなく、創作 → 属性にしてみる。

そのほうが、人間は少し自由になれる気がする。

SNSでは、どうしても「何者かになること」が求められる。

でも、こと創作においては、「何者でもない時間」も、同じくらい大切だと感じます。

もしかすると、人知れず人生を折り返してるかもしれない。
健康だと思っているのは自分の意識だけで、身体は少しずつ蝕まれていっているかもしれない。(加齢ってそういうことですよね…笑)

私は29歳で映像をはじめましたが、もしかするともう一段階、何かに触れることで開花するものがあってもいいのでは?と心のどこかで思っています。

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